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今まで人と深い関係を築かないだけだと思ってきたけど多分本当に築けないタイプなんだと最近思う。

 

この間のカウンセリング(ということにする)以降今まで見えなかったものが少し見えるようになった気がする。女であることが不満だったけどそう生まれてしまった以上人よりも賢くあらねば、強くあらねば、特別であらねばという自分で自分にかけた呪縛に改めて気付いたように思う。自分が女であることは理解した「つもり」で結局目指したものを考えてみれば男として優れた人間だった。女の部分の一切をかなり過激に排除しようとしてきた気がする。どこまで頑張り続けても男になることはできないのに女である自分を許す気もないというのはつまり自分の存在を許さないということでかつての自分のことながら相当に辛い生き方だったと思う。馬鹿でも弱くても平凡でも幸せに生きられればそれでいいのね。

 

まあしかしここまで色んなものが拗れるに至った最大の原因は正直本来は誰よりも臆病で傷付きやすいのに誰にも自分にもそれを気付かれたくなかったことだと思う。その為にはあらゆる策をめぐらしたし本当に手段を選ばなかったと思う。「本当は怖かったの、ごめんね。」では済まないこともしてしまった。悲しい時、怖い時にはかえって強い態度でそれに立ち向かうことで自分の逃げ道を断ったしどんなに苦しくてもそうやって克服していった先に望む強さがあると盲信してしまっていた。そのままで手に入れられたとは思わないけど仮にその「強さ」のようなものを手に入れたとしてそこに至るまで相当傷付けたであろう周りの人たちの気持ちを考えたこともなかった。本当に自分は特別というとんでもない驕りだったと思う。みんなと同じであることを極度に恐れてきたけど、たとえ天才じゃなくても他の誰も私になることはできないし私もこれまでしょうもないとか偉そうに考えてた人たちにとってかわることは絶対にできない。それはつまり要素として重なることはあってもひとりの人間として代役をつとめることはできない唯一の存在ということで、それで十分ではないでしょうか。

 

そしてこれから私がしていきたいこととして今まで人に対して「(批判的に)あなたは〜なところがあるから」「そんなことより〜した方がいいんじゃないの」などと悪気は無くとも上から本人の考えを無視して考えを押し付けるところがあったので現時点ではこれをもうやめるとここできっぱり言いたいと思います。特に一つ目に関してはたとえ良い意味であろうと他人に対して要らぬ枷を付けてしまうことがある。これは私が昔から親に(彼女にとっては善意で)「あなたは正義感が強いから」と言われ続けて、最初は嬉しいと思った反面実際の自分とその言葉とのギャップに長く苦しんだ経験がある。どういうつもりであろうと諸刃の剣であることを理解しなくてはと思う。

 

次にかつての歪んだ理想の自分像の為に多くのものを犠牲にしてきたけれど、今ここでこれまでの自分像を捨てて私は音楽をもう一度取り戻したい。物心ついてからずっと私だけでなく私たち家族の近くにあった友とも呼ぶべきものをあんなつまらないものの為に捨てようと思ったことが今となっては本当に馬鹿馬鹿しくてしょうがない。友達もほとんどなくしたけど、あなたのことだけは完全に忘れたことはなかった。何度となく裏切って今更戻って受け入れてもらえるかはわからないけど今度は自己演出の手段としてではなくて自分のために精いっぱい楽しみたいと思う。

 

本当に首の皮一枚のところであの人に会えたと思う。私は東京に出てきて本来私の本当に大切なはずの色んなものを切り捨てては忘れようとしてしまってたような気がする。音楽を好きな気持ちを、動物を好きな気持ちを、歴史書よりお話が好きな気持ちを、水が好きな気持ちを、家族が好きな気持ちを。

 

私はここで何かを失って帰るのではなくて、失いかけたものを取り戻しに帰るのだということがわかりました。これで迷いなく帰れます。