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以前私はいないことを寂しいと思ってくれる人はいないと言ったけど意外と泣いてくれるような人たちがいて驚いてる。

自分がそうであるほど人は他人に冷たくないのかもしれないとたまに思うことがある。というとちょっと意味が変わりそうだけど、人の心に寄り添うとか親身になるとかいうことがとんでもなく下手だし難しい。ごく稀にわかることはあっても基本的には出来ないし、神妙な顔で場に相応しいと思われる相槌を打つことはするんだけどほとんどの場合実際はいまいちピンときていない。

これは全然別の話で、コードを理解することを拒み感覚で音を選び続けていることに対して「いつも当てずっぽうで運が良ければ合うレベルで満足か?」と言われて物凄い衝撃を受けた。その通り、まさにモヤモヤした心を言語化された。(感覚とはいえ精度はそれなりに高い自負があったけれども)

 

この2つは共通しているように私は思ったのです。どちらも基本的ものが欠けているからコードであれば全体的な流れ、メロディラインの音階から、問題なさそうな音を推測しそこから組み合わせる。会話であれば相手の表情、声音、話題から相手が欲していそうな反応を推測する。どっちも確信を持っていないし何の裏付けもないからたまにとはいえ大きく外すことがある。書きながら虚しくなってくるけどなんて魅力のないことでしょうか。恥ずかしいとさえ思う。

真に理解した上で美しいものやわずかに毒気のあるものを薬味として使うプレーヤーも、真に理解した上で心のままにぶつかってたまには相談してきた人を叱ってさえしまえるような人を本当に素晴らしいと思う。私がこれまで生きてきて未だそうなれないのはなぜ?

 

ただ1つ思い当たる節があって、いつからかわからないけど私は自分にあまり現実味がない。なんだかんだで自分のことすら他人事のように考えてるような気がする。かなり激しく怒っている時ですら実は大して腹も立ってないとか実際の気持ちとは全く違うことを言ってしまったり質問してしまったり本当に自分でもよくわからないし、何となく演技じみてるように感じたりする。本当に意味がわからないし恐怖すら感じる。誰でもそうなのかもしれないけど違った場合のことを思うとなかなか人には聞き辛い。

 

というようにして私は本当の心からの悩みを人に相談した経験が、今考えてみれば全くないように思う。本当に堪え切れなくなって中高時代Ya◯oo!◯恵袋に投稿した2回ぐらいなもので身近な人にというのは本当にない。その話をしてどう思われるかをものすごく気にしてしまう。あとこの件に関して皆そうだと言われてしまえば私は人に対してかなり幻滅してしまうと思う。それから一番怖いのが「興味もないし面倒くさい」と思われること。

内心はどうなったっていいと思っていることはいくらでも話題の1つとして持ち掛けられるのに。ありのままの自分を拒絶されることが怖くてたまらないからなんでしょうね。今思いました。だから自分の影武者のようないつでも切り捨てたり変えたりできる無難な人柄を作り出して、それが独り歩きするまでに至ってしまったのではないかと思う。

そうしてしまったばかりに皆私を見て別の人間に話し掛けているような寂しさをいつでも感じてしまう。私も求められたキャラクターとして言葉を返す。だからいくら私を好きだ、良いやつだと人が褒めてくれようと私自身には全く響かないし喜んでは見せるのになぜかこの響いてないという部分に関しては必ずと言っていいほど気付かれる。これも今思えば本当の自分が愛されるということの実感が薄いからなのではないか。それこそ裏付けがないという。

誰からも愛されてこなかったと言いたいのではなくてそれを一番必要とする時期にあまりにも近くにいてくれなかったとここは声を大にして親のせいにしたい。いくら忙しかったとは言え、いくら心では愛情を持ってくれていたとは言え、3歳で幼稚園に入った途端迎えに行く時間も惜しんで幼稚園に預けることもせず定時で早々と上がらせては夜中まで放置、晩御飯は作り置きを自分たちで食べさせるか一緒に食べてもまたすぐ仕事に行っておいてそれでも幼児相手に心で思っていれば伝わる、仕事をしなければ養えないことを理解して我慢してくれると思うのちょっと人としてやばくない?今までは親に感謝してるししょうがないことやったとか世の中にはもっと悲しい子供時代を送った人はいくらでもいるとか言って涙を呑んできたけどその聞き分けの良さを演じたことがここまで事態を悪化させた。感謝してるとおかしいと思うことは別や。確かに幼稚園に入るまではずっと仕事はしながらでも昼間もずっと会社において一緒にいてくれた。ところが入園した途端どうだ。まるで元服を迎えた若武者のように。

兄と同じ育ち方をしたはずなのになぜこうも違うのかと思ってたけどよくよく考えるとヤツは決して同じ育ち方なんぞしていない。そもそも顔がめちゃくちゃ可愛かった上に実質両家の初孫というイージー×イージーの超絶ラッキーボーイとしてこの世に生を受けている。更には私が生まれる3歳くらいまでは母親は完全に専業主婦、父親は脱サラから起業までの準備期間がなんかで多分ほぼ家にいたという彼らの人生のなかで今のところ唯一と思われる数年間にちょうどぶち当たってるはず。それに対して起業したてホヤホヤという時によく子供作ったなとここは一言物申したい。しかも貯金切り崩し準備期間に仕込まれてるはずやしこんなリスキーなことがあるか?日曜日に朝マックでソーセージエッグマフィンセットを食べたあとホームセンターのペットショップに夕方近くまで置き去りにされ、ヒョウモントカゲモドキと売れ残りの白くてでっかいオウムを一心不乱に眺め続けるのが家族のお出掛けパターン。ペットショップの人もさぞかし迷惑だったことでしょうな。

それから忘れてならないのが私は生まれた瞬間から生粋のブスな上4番目の孫で1つ下にも2人いるという親戚一同もだいぶ赤子を見慣れたころに誕生したわけやし親に放置されようとも道行く人にすら可愛がられる兄と比べると親ぐらいしか可愛がってくれる人はいなかったというのに。しかも病院では1番目の可愛さからかなりハードル上げて美ベビーを期待して集まったミーハーの親戚どもが一様に、父親までもが顔見てがっかりしたと言いますし。まあ一番がっかりなのは物心ついた頃の私なんですけど。私がこの世で初めて聞いた父親の言葉が「あれッ」だったらしいですから相当の金をかけて育てた娘にこれぐらい言われるのは至極当然のことと存じ上げる。

かくして3歳以降スーパーに行く、たまにお風呂に入る、朝マックに行く、たまに外食する、たまに本屋さんに行く、年1回父親の実家に行く、ちょいちょいショッピングモールに行くくらいのイベントと夜に会う(めちゃくちゃ疲れてるもしくはイライラしてる、喧嘩してることがほとんど)くらいの親子のふれあいのみでいかにしてまともな人格が育とうか。後にきた犬のローズを私はこよなく愛したけれども謎のイタコに「すぐにでも犬と娘を引き離さないと娘の気がおかしくなる」とか言われたらしく当時唯一の拠り所とも言うべきローズとも色んな理由を付けて引き離された。本当の理由は去年ローズが他界してから知らされた。愛情あっての決断ということはわかるけれどもそれ以前にもっとやることがあったんじゃないのか?間接的に私がローズが肩身の狭い思いをするきっかけを作ったことをせめて隠し通すべきではなかったか?犬気狂いとまで言われた私が犬を好きやということを人に話すのを今は自粛してるのを知らんやろう。当然言ってないんやからね。

ローズの方が辛い思いをしたであろうに言うけどお互いに拠り所から切り離された我々に対するフォローがあったわけでもない。何ら変わらぬ日常を一人で過ごすことになっただけで。

 

そう。そして私の愛情表現はかなり幼稚な感じだと思うんだけどたぶん愛情を感じた記憶が幼児で止まってるからなのかと思うんです。「キャーキャー可愛いねーヨシヨシ」みたいなテンションになぜかなってしまうんだけど、よく考えたらそれは昔の母親と全く同じことをしている。ローズに対してやっていたことと思っていたけどそれはその昔母親にやってもらっていたことだった。なぜかパタパタ叩いてしまうのも、あれって赤ちゃんにやるあれなのではなかろうか。涙ぐましい。思えば幼稚園のバスが来る頃に遅刻すれば送ってくれる、仮病を使って早退すれば迎えに来てくれるというわずかな時間にものすごい価値を見出していた。3歳からよく言えば対等に扱われ、子供でいられた時間は短かったように思うけど、確かに愛情はあった。

 

無難な音を選ばない生き方に戻します。

 

 

 

1/14

 

 

今まで人と深い関係を築かないだけだと思ってきたけど多分本当に築けないタイプなんだと最近思う。

 

この間のカウンセリング(ということにする)以降今まで見えなかったものが少し見えるようになった気がする。女であることが不満だったけどそう生まれてしまった以上人よりも賢くあらねば、強くあらねば、特別であらねばという自分で自分にかけた呪縛に改めて気付いたように思う。自分が女であることは理解した「つもり」で結局目指したものを考えてみれば男として優れた人間だった。女の部分の一切をかなり過激に排除しようとしてきた気がする。どこまで頑張り続けても男になることはできないのに女である自分を許す気もないというのはつまり自分の存在を許さないということでかつての自分のことながら相当に辛い生き方だったと思う。馬鹿でも弱くても平凡でも幸せに生きられればそれでいいのね。

 

まあしかしここまで色んなものが拗れるに至った最大の原因は正直本来は誰よりも臆病で傷付きやすいのに誰にも自分にもそれを気付かれたくなかったことだと思う。その為にはあらゆる策をめぐらしたし本当に手段を選ばなかったと思う。「本当は怖かったの、ごめんね。」では済まないこともしてしまった。悲しい時、怖い時にはかえって強い態度でそれに立ち向かうことで自分の逃げ道を断ったしどんなに苦しくてもそうやって克服していった先に望む強さがあると盲信してしまっていた。そのままで手に入れられたとは思わないけど仮にその「強さ」のようなものを手に入れたとしてそこに至るまで相当傷付けたであろう周りの人たちの気持ちを考えたこともなかった。本当に自分は特別というとんでもない驕りだったと思う。みんなと同じであることを極度に恐れてきたけど、たとえ天才じゃなくても他の誰も私になることはできないし私もこれまでしょうもないとか偉そうに考えてた人たちにとってかわることは絶対にできない。それはつまり要素として重なることはあってもひとりの人間として代役をつとめることはできない唯一の存在ということで、それで十分ではないでしょうか。

 

そしてこれから私がしていきたいこととして今まで人に対して「(批判的に)あなたは〜なところがあるから」「そんなことより〜した方がいいんじゃないの」などと悪気は無くとも上から本人の考えを無視して考えを押し付けるところがあったので現時点ではこれをもうやめるとここできっぱり言いたいと思います。特に一つ目に関してはたとえ良い意味であろうと他人に対して要らぬ枷を付けてしまうことがある。これは私が昔から親に(彼女にとっては善意で)「あなたは正義感が強いから」と言われ続けて、最初は嬉しいと思った反面実際の自分とその言葉とのギャップに長く苦しんだ経験がある。どういうつもりであろうと諸刃の剣であることを理解しなくてはと思う。

 

次にかつての歪んだ理想の自分像の為に多くのものを犠牲にしてきたけれど、今ここでこれまでの自分像を捨てて私は音楽をもう一度取り戻したい。物心ついてからずっと私だけでなく私たち家族の近くにあった友とも呼ぶべきものをあんなつまらないものの為に捨てようと思ったことが今となっては本当に馬鹿馬鹿しくてしょうがない。友達もほとんどなくしたけど、あなたのことだけは完全に忘れたことはなかった。何度となく裏切って今更戻って受け入れてもらえるかはわからないけど今度は自己演出の手段としてではなくて自分のために精いっぱい楽しみたいと思う。

 

本当に首の皮一枚のところであの人に会えたと思う。私は東京に出てきて本来私の本当に大切なはずの色んなものを切り捨てては忘れようとしてしまってたような気がする。音楽を好きな気持ちを、動物を好きな気持ちを、歴史書よりお話が好きな気持ちを、水が好きな気持ちを、家族が好きな気持ちを。

 

私はここで何かを失って帰るのではなくて、失いかけたものを取り戻しに帰るのだということがわかりました。これで迷いなく帰れます。

 

 

 

1/10

 

 

これからちょいちょいブログを書いていく。

 

大阪に帰るべきと言われて1週間経ちましたがいかんせん未だ決心がついていない。

帰るといろんな人に言ってるけどどうしても「と思う」をつけてしまう。

 

あの人の言うことを間に受け過ぎなのかもしれないけど、ちょうど最近家族の問題から逃げ続けてることに対してこのまま何らかの理由で会えなくなるようなことがあったら本当に後悔するだろうなと思ってたタイミングでもある。

私自身家族に関する傷を諦めるという形で癒そうとしてきたけどそれともこの辺りで向き合って根本から解決するべきなのかもしれない。でもどうやって?

 

それとここに残りたい理由は、帰ってしまうことでこの4年間の全てが無かったことになりそうで怖い。今まで人と深い関係を築いてこられなかったから数年離れればアッサリ崩れてしまう程度のものだと思う。別れてしまえば誰かに会いに来るという名目で上京することも多分ないんだろうと思う。会いたい人はいるんだけれども今これだけ近くにいても言えないのに。

本当は言えないんじゃなくて言わないだけなんだろうに。

やっと他人を受け入れられた、他人から受け入れられたと一時は心から思えた関係ももう終わろうとしてる。既にもうまた言葉を選ぶようになってしまった。

 

この4年間、沢山の得難い経験をしたと思う。無条件に受け入れてもらえる自分の居場所があることがどれだけ幸せなことか身に沁みてわかった。そして故郷に錦を飾るはずが今では深手を負っておめおめと帰郷する落武者でしかござらぬ。

これ以上過ぎた思い出にしがみついてここに残ることが得策でないことは誰が考えたってわかる。

 

会えば歓迎してくれる人はいてもいない事を寂しいと思ってくれる人はいない。そういう感じです、今も昔も。私自身特定の誰かに会えなくて寂しいと思うことはない。ただ漠然と寂しいだけであって。

と思ったけど今はまだ特定の会いたい人がいましたね。

 

 

いつまであっちにいることになるんだろうか。私は何を守ろうとしているんだろうか。